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楠・和田家の後裔について

  • 老虎
  • E-mail
  • 2009/08/03 (Mon) 17:48:32
楠木家に関する貴HP興味深く閲覧させて頂きました。
小生は和歌山市出身で現在都内在住の一老人ですが実は戦前より親たちから我が家の出自は楠木家だと聞かされ、系図もあったのですが戦災で全て資料も焼失し、その後はそのことには気にも留めていなかったのですが、齢も後期高齢者の仲間入りするようになり、今一度調べて見ようとネット検索しながら此処に辿りついた次第です。

古いほうは敏達天皇に始まり橘諸兄を通じて楠木までは大体歴史書等で辿れるのですが、知りたいのは此処に書かれている楠木・和田家の末裔の方はどうなっているのかなと言う点なのです。

我が家のお寺が高野山にありますので一度時間を見て訪ねて過去帳を当たって見ようかと思っているのですが、その前に少しでもブランクの部分を埋めるために楠木・和田家の後裔について何か知られていること、又、調べる方法について何かヒントになることがありましたらお教え頂きたく厚かましくも此処に投稿させて頂いた次第です。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2009/08/04 (Tue) 00:57:19
老虎さま、こんばんは、はじめまして。
管理人の楠七郎です。
このような稚拙なサイトにお越しいただきまして、また、書き込みまでしていただいて有難うございます。

系図があったのですね、すばらしいです。
焼失してしまったのはとても残念です。

私も、楠木家や和田家の末裔の方々がどのように今を過ごされているかについて、関心があります。
色々な伝承があって、それらの情報が集まればいいなぁと思っております。
以前、このサイトにも、ご子孫の方々からの書き込みがございました。

私の名字は「楠」で代々河内国に住んでおります(少なくとも220年前までは)が、残念ながら楠木正成に関する伝承はまったくありません。
無いどころか、たぶん関係ないやろという事を言っております。
家紋も菊水紋ではありません。

約220年前までの先祖が辿れたのも、数年前なのですが、
その時に調べたことが、老虎様のヒントになればと思いますので以下に書かせていただきます。
実際に色々と調べたのは、私の父ですので、私は偉そうに言えませんが^^;

まずは、役所に行って、我が家と親戚の協力も得て、戸籍謄本と除籍謄本を取得しました。
早く取得しておかないと、古い分は取れなくなるそうなので、早い目に役所で申請されることをお勧めします。
たしか、役所の保有期間が80年だったかな?
たまたま、慶応生まれの人物がいたので、江戸時代後期の先祖の記述を得ることができました。
本家での過去帳を調べたり、菩提寺で宗門人別改め帳を見せていただいたり、先祖の墓がある墓地で、同名の墓石を調べたり、家紋を調べたりしました。

菩提寺では、たまたま親しくお付き合いをさせていただいておりましたので、快く宗門人別改め帳を見ることが出来ましたが、お寺さんによったら、簡単には見せていただけないかもしれませんので、事前に連絡を入れて事情を話しておかないと、いきなり行っては何も見せてもらえないかもしれません。

都内にお住まいでしたら、なかなか高野山へは行けないと思いますので、連絡先がわかれば、電話や手紙などいかがでしょうか?
戸籍謄本等は、都内の役所から、出身地の和歌山市の戸籍謄本等が取れるのかは、私はわからないので、一度、最寄の役所でお尋ねして頂くのが宜しいかと存じます。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2009/08/04 (Tue) 01:18:02
続きです。

楠木正成の先祖や子孫(江戸初期ころまで)を調べれば、我が家の先祖とつながるかなと思って、このHPを作成しておりますが、
なかなかつながりません。

我が家のほうも220年前で止まっている状態ですし、南北朝前後や後南朝、戦国時代、江戸初期に活躍した楠氏の人物もHPにアップしていないのを含めても、広がりが出てきていないのが今の実情です。

紀伊国(和歌山県と三重県の一部)は楠系の姓が多いので、老虎様も、楠氏の裔の伝承があるのでしたら、そうなのかなと思います。

私個人的には、正成前後の世代の河内楠氏も、紀伊国(熊野か)から移動してきたと思っておるのですが、明確な資料もないので勘だけで申しておりますので信じないでくださいませ。
和田(にぎた)氏とも縁が深く、その流れが悪党と呼ばれた楠木氏かなとも想像しています。

南紀には「楠」という地名が古くからあり、その東側には、熊野本宮や新宮がありますので、その地名を名字にしているかもしれませんし、樹木のクスノキを名字にしたのかもしれません。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • うめきち
  • 2009/09/18 (Fri) 22:31:56
川端康成の大和の定宿である「江戸屋」が大和の分家和田氏です。
同家の墓は葛城市の某寺にあり菊水紋の墓石です。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2009/09/18 (Fri) 23:54:58
>うめきち様

情報ありがとうございます。
(o*。_。)oペコッ

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 2011/05/31 (Tue) 23:38:50
東京の和田です。
父から裏紋は菊水と前から聞いており、気になったのでネットで検索したところ楠公と和田氏が関係あることが分かり、こちらにたどり着きました。和田の姓は祖母の姓であり、大阪の和田家だそうです。祖母は東京に嫁ぎましたが、祖父が若くして他界。また、大阪の和田家を継ぐものが居なくなるので、和田の姓を名乗っているそうです。
実家には刀(戦国時代の長剣を切断したものとの鑑定)と槍があり、刀については油紙とともに14世紀の刀であることが記されていました。これが真実としたら正に正成公の活躍した時代のものであるようです。ちなみに当家の家(表)紋は橘です。なにかご存じのことがありましたらご教授願います。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2011/06/01 (Wed) 22:32:04
昇様。

はじめまして。

楠木氏と関係の深い和田氏は、家紋が橘紋というのはよく耳にします。
いくつかの和田氏の本姓が「橘」であると事から、家紋も橘なのかもしれません。

大阪周辺になりますが、墓地に行った時、楠木家や和田家の墓石を見つけては、その家紋をチェックしております。
和田家の家紋は、橘の家紋や菊水の家紋を見かけることが多いです。
おそらく楠木氏との関係が深いとの伝承も残っているのでしょうね。

個人的には、楠木正成の楠木家は和田氏からの分かれではないかと考えております。
和田氏はけっして楠木氏の配下ではなく、和田一族だけでも行動がとれる、それなりの勢力のある一族だと思っております。

先日、本屋さんで、大阪の和田氏について書かれた書籍を見かけました。
読んでみたいなと思ったのですが、書名も覚えておりません(o*。_。)o

また、和田という名字は和歌山県や三重県に多いと聞いております。
和田「わだ」という読み方は「わだつみ」信仰から来ているとも聞いております。

こんなことしか書けませんが、なにかの足しになれば幸いです。

Re: Re: 楠・和田家の後裔について

  • 和田
  • 2011/06/09 (Thu) 23:30:21
たまたまみつけて投稿させともらいました和田の末裔です
大阪の和泉近くに昔から住んでます
家紋ゎ菊水の紋です
よくおじいちゃんから話をききました
昔刀もあったらしいですがひぃおばぁちゃんが捨てたらしいです
良かったら返事ください

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2011/06/10 (Fri) 08:24:21
和泉の和田様

管理人の楠七郎です。
書き込みしていただいて有難うございます。
また貴重なお話にも感謝しております。
捨ててしまわれた刀は残念ですが、家紋がずっと伝わっているのがいいですね。
また、何か伝承があったら教えてくださいませ。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 花井重勝
  • E-mail
  • Site
  • 2013/10/21 (Mon) 00:53:45
初めまして、花井重勝と申します。私の祖母は大和新庄の和田家(江戸屋)の出自です。墓所は大和新庄の「慶雲寺」(臨済宗)です。家紋は「菊水」です。
私は「神戸湊川神社」(楠木同族会)に入れていただいております。全国から例祭には参集されます。因みに和歌山の「華岡青洲」も、旧姓は「和田」の出自です。
(PS)ホームページは私の事業所です。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • 2013/10/23 (Wed) 19:29:18
花井重勝様。
はじめまして。
管理人の楠七郎です。

このたびは貴重な情報をありがとうございます。

和田家の皆さんが繋がるといいですね。

ちなみに、私は同族会には入っておりませんが、知り合いが入っております。

Re: Re: 楠・和田家の後裔について

  • 初めまして。
  • 2013/11/10 (Sun) 02:54:18
私の家系も楠木正成の家系でおじいちゃんが戦争で家系図は置いてきてもう無いけど、ということを聞きました。
その家系ではずっと先祖が楠木正成で通っていますが、私自身もう根拠がありませんのでなんとも言えませんが、、、

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • 2013/11/12 (Tue) 08:17:31
初めまして。さん

書き込み、ありがとうございます。
管理人の楠七郎です。

戦争で無くなってしまったというのは残念ですね。
家紋とか他の親戚の方々から、何か情報がわかれば手がかりになるかもしれませんね。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • うめきち
  • 2014/01/06 (Mon) 20:47:30
花井様

どうやら同族の方とお見受けいたします。
昔、父から江戸屋には刀長持ちが4竿程有ったと聞いています。
詳しくはプライベートになりますので、メールを差し上げてもよろしいでしようか?

Re: 楠・和田家の後裔について

  • abc
  • 2014/06/12 (Thu) 22:34:46
実は、私も楠木家の子孫らしいです!
ひいおばあちゃんが、直属の子孫だったらしく、
家系図に名前が載っているらしいです・・・(笑)?

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2014/06/18 (Wed) 08:04:24
abc様。

はじめまして。
子孫であられるのですね。
その家系図に興味があります(*´ェ`*)

Re: 楠・和田家の後裔について

  • さいたまの楠
  • 2014/06/18 (Wed) 19:17:26
初めまして。さいたま市に住んでいます楠と申します。

自分の家系図が知りたく、ここにたどり着きました。

うちは祖母の旧姓(楠)を父がつぎました。
祖母の実家は石川の能登で能登岬の灯台の下に楠家の墓があります。
祖母は京都に嫁ぎ、京都御所の隣で祖父が亡くなるまでおりました。

京都の酒蔵へ和歌山・石川から出稼ぎに来た方々を家に泊めて面倒を見ていたようです。

何かわかればご助言ください。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • デトロイトの山田守
  • 2014/11/03 (Mon) 02:45:13
私は楠木家と血縁関係はありませんが、河内生まれで河内育ち。中学生の頃から太平記を愛読し、四條畷高校を卒業し、湊川神社で入学式をする神戸大学を卒業しました。大学は赤松城址に立っているようです。

さて、大学の先輩に、和歌山出身の和田さんがいらっしゃいます。かれの曽祖父が和田義郎といい、東京で、和田塾を設立しました。適塾の友人なのかもしれませんが、友人の福沢諭吉から請われて、慶応大学の小学校になったとのことです。慶応では、小学校と言わず、幼稚舎というそうです。かれもデトロイトの郊外に住んでいますが、先祖には「義」の字が付く人が多いそうです。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • クロレッツ
  • 2014/11/11 (Tue) 20:18:39
  
南北朝の戦いで 四人の兄弟が南朝、北朝に別れた時、北朝側についた方の和田の直系です。
江戸時代は熊川宿、今の福井県若狭町で蔵奉行の職を任されていました。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2014/11/12 (Wed) 15:28:12
さいたまの楠様。

掲示板への書き込み、ありがとうございます。。
なぜか、返信した書き込みが出ておりませんm(__)m

加賀前田家に仕えた楠氏がいると聞き及んでおります。
その関連で、能登にお墓があるのでしょうか。

家紋とかも知りたいところです。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2014/11/12 (Wed) 15:35:43
デトロイトの山田守様

このたびは、書き込みありがとうございます。

生い立ち、楠木氏関連のゆかりの地ばかりですね。すごいですね。

また、和田さんのお話もありがとうございます。
その方も、楠木氏と何か関連がある方なんでしょうか?

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2014/11/12 (Wed) 15:45:57
クロレッツ様。

このたびは、書き込みありがとうございます。

北朝側に仕えた和田氏の方のお話は貴重だと思います。
北朝側に仕えた楠木氏もいるはずなんですが、なかなか聞かないのです。

クロレッツさんのご先祖は、室町や戦国時代、どこかの大名に仕えていたのでしょうか?

Re: 楠・和田家の後裔について

  • さいふぁ
  • 2015/03/19 (Thu) 11:16:21
自分の先祖って、どうなのかな?って検索していたら
ここにたどり着きました。

はっきりと誰だかが分からないけど
クロレッツさんの親戚(たぶん従兄弟位?)だと思う。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2015/03/19 (Thu) 11:40:02
さいふぁ様

こんにちは。

ここでの書き込みがきっかけで縁が深まるといいですね。
従兄弟くらいなら、けっこう近い親戚になりますね。

楠・和田家について

  • 倭 和田
  • E-mail
  • 2015/04/23 (Thu) 12:11:38
こんにちは 初めて書き込みをさせて頂きます。
この度 湊川神社の楠同族会に入会しようかと色々検索していた所このサイトに出会い書き込みを致しました次第です。
我が 和田家は 奈良県吉野町下市町本町に住んで居たのですが 昭和12年に下市で大火事があり移住したらしいです。
下市へ住む前は吉野郡天川村和田という所に住んでおり20年位前に天川村和田まで調べに行った折現在は和田家は1件も無く移住している様でした。その天川村和田へは 南北朝時代に 和田孫次郎正頼が天川村和田へ南朝と共に移住したと聞いております。
正頼の親は和田和泉守正武で岸和田城主であったようです。(岸に和田家が城を構えて岸和田と言う地名になった模様)その先祖を辿りますと 現紀の川市に古和田という所があり そこに住んだ時に和田の庄 和田国造と名乗り 和田良冬より満俊となります。またその祖先を辿りますと ニギハヤヒの命を開祖とし熊野本宮大社で神職を行っていたようです。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02125.htm#001

私は楠同族会に入会しようかと思っておりますが 入会資格はあるのでしょうか?
また、こちらの皆様で 楠同族会に入会されている方はおられますか?
よろしくお願い致します。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • かかし
  • 2016/07/19 (Tue) 16:10:07
大阪の河南町に和田家があります。
家紋は菊水です。
家の中には、枯山水(水が流れていない)と水が実際に流れている枯山水の2つの山水があります。
また、1畳の袱紗があり菊水紋は金糸で作ってありました。
鎧、刀も沢山あり、太平洋戦争ではかなり量の鉄(刀、鎧)を寄付したと聞いています。

残念ながら和田家の本家は10年ぐらい前に火災で消滅しましたが、石垣は残っています。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/07/21 (Thu) 23:00:34
倭 和田様

こんばんは。
返事が遅くなりました。誠に申し訳ございませんm(__)m

同族会に所属されている知人がいますが、私は、入会しておりません。
ですので、資格はわからないです。すみません。

また、仕事で知り合った人で、吉野郡の和田というところから来たという和田さんがいました。
その人と会う機会があれば、また何か情報が得られるかもと思っています。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/07/21 (Thu) 23:10:33
かかし様

菊水ですか^^
立派なお家みたいですね。
実際に見たら、強く印象に残ることでしょう。

火災にあわれたのは、非常に残念です。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 今井より
  • E-mail
  • Site
  • 2016/10/25 (Tue) 15:47:09
今日初めて伺いました。
「楠木正勝」でヒットしました。

午前中、霧島市広瀬に鎮座する「大穴持神社」の
近くに、史跡があります。

当地でも末裔は「和田家」とか
別の場所から末裔宅へ移築されたようです。

詳細が判ったらまたお知らせします。

★大穴持神社(延喜式)

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/10/27 (Thu) 09:28:28
今井様

こちらにも画像のご投稿ありがとうございます。

和田家が関係しているのですね。

またの情報をお待ちしております。

「楠木正勝」の霧島市の伝承地

  • 今井より
  • E-mail
  • Site
  • 2016/10/25 (Tue) 15:04:18

奈良の十津川の隼人末裔を調べていて
楠木正勝の墓所伝承を知ったのが2003年でした。
この伝承は各地に点在しますが、
当地、霧島市にも伝承地があるのを思い出して、
今日、久々に再訪しました。
以前は、JR日豊本線の隼人駅前にあったようですが、
国分・広瀬の子孫の方宅に移築し
祭祀されてるご様子。
その方も数年前に他界され、現在はご覧のとおりでした。
史蹟近くの大穴持神社に参拝して帰宅しました。

Re: 「楠木正勝」の霧島市の伝承地

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/10/27 (Thu) 09:26:49
今井様

掲示板へのご投稿ありがとうございます。
このサイトの「楠木氏関連史跡マップの大阪府以外編」にマークをしているところと同じなんでしょうね。
画像を始めて見ました。ありがとうございます。

宮城県の楠木の史跡

どうも、太平記ファンの雪狼です。
先週は大阪四条畷を歩き、正行関連の史跡などを見学してきました。
正行終焉の地という碑も見てきました。
大軍相手の激闘で、負傷と疲労から歩くこともかなわず、往生寺城に退却する途中に急勾配の坂に阻まれ力尽きる様子が想像できました。

今回の旅行はgoogleの楠木関連史跡マップが大いに役立ちましたが、これに宮城県の史跡として「寒風沢(さぶさわ)」があることに驚き。
ここは自分の趣味で歴史調査のために幾度も訪問している場所です。
社殿というのはおそらく不動明王で、地誌によると江戸時代には多くの修験者がここで修行にはげんていたのだそうです。

五年七ヶ月前の津波で同島は甚大な被害を受け、この不動明王の社殿は被害を受けなかったものの、周辺の住宅は完全に流されてしまっています。
ともあれ寒風沢は宮城に来られてもそうそう訪問できる場所でもありませんので、
私が撮影した画像でよければぜひご覧になってください。

↓こちら
http://homepage2.nifty.com/snowwolf/sabu.htm

Re: 宮城県の楠木の史跡

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/10/13 (Thu) 14:06:00
雪狼様。

四条畷周辺の史跡巡り、ご堪能されたようですね。よかったですね。
その際に、このHPにある楠木関連史跡マップを活用していただきまして、誠にありがとうございます。
また宮城県の史跡が幾度も訪問されていたところだったとは思いませんでした。

画像、拝見させていただきました。
いつかは、私も自分の目で見てみたいと思いました。ありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします。

ダライ・ラマはヒトラーの友達の友達

  • うさぎ777
  • 2016/10/10 (Mon) 17:22:44
ダライ・ラマはヒトラーの友達の友達

http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html#page113

ナチス・ドイツの残党がダライ・ラマの家庭教師だった。

( http://sky.geocities.jp/datepedia/02/update.html )

( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0103/p031.html )

( 個人的意見 )

再度投稿いたします

  • 凡凡
  • 2016/09/18 (Sun) 09:22:43
管理人様、亡父のノートを見てきましたので、再度投稿いたします。前に申し上げたように正式には巻物としてあるのですが、それ自体も亡父のノートの記録を見ると、当家の大火により一部焼失している旨の記載があります。また、書き写した記録自体も抜粋なので、途中抜けているところもあるかもしれませんので、その点をご了承いただきたいと思います。

正俊(橋本氏)―正康(盛仲の子、正遠と兄弟で正俊に養子となる)―正種―正信(橋本伯耆守正信、13才時湊川負戦にて大口村に住す、以後現在の姓氏を名乗る)

この正信から明治までの系図が先に申し上げたように当家の火災で焼失とあります。

他にも以下のような記述があります。

・橋本八郎正俊の養子となる、依って橋本氏と称す。
・正康 文永11年甲戌十月廿日生、正平元年丙戌四月廿八日卒す 七三才
・正信 伯耆守 橋本長右エ門正信 13才時湊川合戦に出陣致候事 正平?四年庄内に移り、十一月廿日大口村斉藤利右衛門氏に願て大口村に住す


参考になればよいのですが。

Re: 再度投稿いたします

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/09/19 (Mon) 22:24:13
凡凡様

誠にありがとうございます。
火災で焼失した箇所もものすごく気になります。残念で仕方がないですね。
正平の頃から後の記載があれば、他の楠木系図との照らし合わせも出来たものと思われます。

盛仲は、橘盛仲のことかとは思われますが、子供の正遠らとの生きた年代の差が指摘されております。


本日は、ここまででご容赦ください。
また後日、続きを書きますのでm(__)m

Re: 再度投稿いたします

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/09/27 (Tue) 15:38:04
凡凡様。

遅くなりました。

正康の記述で、正遠と兄弟とありますね。
私のサイトでは、楠木正遠は1263年の生まれ?と載せていますが、正康が文永11年(1274年)であれば、弟になるかもしれませんね。

私も楠木氏と共に戦った橋本氏の系図等を調べる必要がありますね。

Re: 再度投稿いたします

  • 凡凡
  • 2016/09/29 (Thu) 14:34:53
管理人様、お返事ありがとうございます。

更に書き込みます。

正俊にはその下に正貞(文永十一年甲戌十一月廿五日生、正平五年庚寅三月廿一日卒す 七十七才)、正子(正俊の子、正康の妻)、そして正康(養子)と三人の名前が並んでいます。

正貞の記述かなと思われますが、以下の記述もあります。
群馬県邑楽郡赤羽村大字羽付野木前住す、楠木神社アリ。

正子については、室橋本正俊ノ長女ナリ 正子姫ナリ 弘安元年戌寅十二月廿三日生 建武二年乙亥十一月廿五日卒ス 五十八才

系図の真偽は私にもわかりません。亡父もどう思っていたか。

お役に立てば良いのですが。

Re: 再度投稿いたします

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/10/02 (Sun) 17:44:47
凡凡様

さらに詳しい情報ありがとうございます。

野木から乃木将軍を思い出しましたが、楠木(くすのき)のくすの部分をとって「乃木」とかいう話を聞いたことを思い出しました。

なにか曰くがありそうな字名ですね。

Re: 再度投稿いたします

  • 凡凡
  • 2016/10/03 (Mon) 15:20:59
生前、父は乃木希典の浪曲を毎日のように聴いていた時がありました。

父曰く、乃木将軍のおそばで仕えた者がいる、そうです。

私もこの時のことを思い出しました。

四条畷に旅行企画中

お久しぶりです。太平記ファンの雪狼です。

10月に会社から強制的に有給休暇を3日連続で取らされることになり、
この機会ということで奈良方面を訪れることにいたしました。
もとの予定では大塔宮の足跡を辿るつもりでしたが、
今回は先日こちらに記したように奈良県吉野町と、大東市と四条畷市の正行関連史跡を訪れることにいたしました。

ネットで首塚や墓などを手当たり次第に調べ、じっくりと歩いて回りたいと考えています。
飯盛山の頂上には四条畷神社から歩いてどのくらいでしょう。
六万寺から四条畷まで見て回るとすると、結構な時間がかかりそうな気がするのですが…

ともあれ今回の旅行は楽しみです。
太平記関連の本を持って行って、夜は読書三昧だ。

Re: 四条畷に旅行企画中

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/10/02 (Sun) 17:49:59
雪狼様

お久しぶり。

史跡巡り、いいですね。羨ましいです。

四条畷神社から飯盛山山頂までは、けっこう急な登りもあって、汗をかいたのを覚えています。
しゃべりながら登ったので、時間をおぼえておりません。
頂上から野崎の方面に歩いたのですが、午前中に四条畷神社を出て、午後3時前くらいに野崎観音だったかな??

六万寺から四条畷も、史跡を巡りながらなら、半日弱くらいかかるかと思います。

楠 和田家の関係

  • 倭 和田
  • E-mail
  • 2015/04/30 (Thu) 18:02:32
こんにちは

楠家 和田家の関係は諸説ございます様ですが
我が家系図から読み取れる楠家と和田家の関係をお話をさせて頂きとうございます。

先ず当家(和田家は以前お話しました通り)熊野本宮大社で神職を行っておりました。ですので 元々は天神族(饒速日命の末裔)熊野国造であり 熊野直として姓を授かったようです。
その後 饒速日命より数えて20代目 高賀志麿になぜだか 橘 諸兄より3代目島田麻呂の息 真主を養子として迎え入れております。ここで 橘家と楠家との継りが見えてきます。真主より数えて3代後には 熊野姓より橘姓に変わりその又3代後に和田姓に代わっております。橘 良冬より和田 良冬です。良冬より数え9代後に和田正俊、和田満俊兄弟がおり 正俊の息子が楠木 正玄つまり 楠木を名乗っております。我が和田家はその満俊の流れですが その楠木 正玄の妻がまた橘 盛仲 娘を迎えたのが切っ掛けでしょうか 楠木を名乗ったようです。ちなみに盛仲は橘 島田麻呂より数え10代目になります。
その楠木 正玄の次男として生まれたのが 正成です。
当家 和田 満俊の息子 高遠の妻は 楠木 正玄の長女となっております。このように 当家 系図より読み取れるのは 楠木家は元々和田家として 12代名乗った後に 楠木家に改名となる訳ですので 楠木 正玄兄弟は勿論 和田姓を名乗っておりますし 正成兄弟の中や子孫の中には和田姓に戻している所も多く見受けられます。

以上の話が 当家和田家の系図より読み取れる事柄です。

始めに記したと通り諸説があるようですので これが真実だとも言い切れませんが 参考になればと思い書置き致します。

倭 和田

Re: 楠 和田家の関係

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2015/05/09 (Sat) 08:50:39
倭 和田様

おはようございます。
多忙にて返信が遅れましたことをお詫び申し上げます。

情報がしっかりしている家系図をお持ちなのですね。
すごいことですね。

和田氏と楠木氏はやはり近しい一族のようですね。

ほかの和田家にも同様の家系図があれば、新たな発見や確信が得られるかもしれませんね。

貴重な情報、誠にありがとうございます。

橘氏と熊野氏の関係

  • 平田 重人
  • E-mail
  • 2016/09/21 (Wed) 14:39:27
倭 和田様

 初めまして。歴史の研究をしております。ご教示願います。橘氏と熊野氏の関係を調べております。熊野真主が橘嶋田麿の子であるということは、何か古文書等があって、そのようなことになっているのでしょうか?

橋本氏祖

  • 凡凡
  • 2016/09/03 (Sat) 16:48:32
管理人様、再度投稿いたします。

お盆の際に亡父のノートを確認してきましたが、時間がなかったのでざっと見る程度でしたが、ここに記しておきたいと思います。またいずれ確認したいと思っています。

我が家の家系図は、正康から来ていました。
名前はもう一度確認しないとわかりませんが、湊川合戦の際、13歳だった正○のときに、出羽の地に逃れ、そこで現在の姓を名乗るようになったとのこと。現在の羽黒になりますが、一定の地域を治めていたようです。

なので楠一門の橋本氏ということになりましょうか。

Re: 橋本氏祖

  • 楠七郎@管理人
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  • 2016/09/03 (Sat) 22:44:05
凡凡様。

ご投稿ありがとうございます。

正康とは、楠木正成の父の名前の一つとして数えられている正康でしょうか?

楠木正成の男子である楠木正儀の子孫として、出羽国に打越氏があるようですが、そことは関係がないのでしょうか?

橋本氏に関しましては、もっと詳しくないですが、紀伊国かその周辺が地盤のように思っております。
楠木氏の誰かに橋本氏の誰かがお供したとは、十分に考えられると思います。

Re: 橋本氏祖

  • 凡凡
  • 2016/09/07 (Wed) 16:50:11
管理人様

正遠と正康とあって、ノートには正康(橋本氏祖)から系図が続いていました。

その何代か後の正○が13歳の時云々との記述がありました。

出羽の地に逃れて以後、姫なりという記述がいくつか見られ、現在の姓を受けながらも、出羽の地を治めていたのでしょうか。亡父の記憶を思い出すと、昔は酒井家との交流もあったと聞いた気がするのですが。

Re: 橋本氏祖

  • 楠七郎@管理人
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  • 2016/09/11 (Sun) 21:24:00
正遠の名前は、正成の父もしくは兄という位置の系図があるそうです。
また、楠木氏が橘姓を用いていることから、河内国の橘正遠の女(娘)が観阿弥の母と記された系図の正遠は楠木正遠であろうと推測され、
それが、能で有名な観阿弥世阿弥父子と楠木氏は縁戚関係だったと言う人もいてます。

系図の確定は困難だとは聞いておりますが、「姫なり」という記述も、さらに事実確定が難しい作業かもしれませんね。
交流のあった酒井家に何か情報があれば凡凡様の家系の新たな情報でもでてくればいいですね。
戸籍謄本や除籍謄本で調べられるのも限界がありますが、親族名から新たな情報がつかめるかもです。
出羽の、とある地を治めていた情報なんか出てきたら最高ですけど。

Re: 橋本氏祖

  • 凡凡
  • 2016/09/12 (Mon) 08:21:32
管理人様

お返事ありがとうございます。

治めていたのは出羽の大口という地域です。当時は村だったと記憶しております。

その地に逃れ、現在の姓を名乗るようになり、今に至ります。

当時は御庭番などもいたそうで、地域に貢献もしたようで、明治には学校を建てるなど、現在も石碑が残っています。

近く家に行く予定ですので、系図をまた確認したいと思います。

Re: 橋本氏祖

  • 楠七郎@管理人
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  • 2016/09/13 (Tue) 22:00:45
凡凡様

何か新たな情報が出てくるといいですね。
ご先祖様のお墓にも、何か刻まれているかもしれませんね。

我が家の系図

  • 凡凡
  • 2016/08/08 (Mon) 14:00:46
家は敏達天皇を先祖とし、美努王、橘諸兄、奈良麻呂、広相、そして楠木と家系図にあります。

そして正行から以降もあるのですが、実は家系図の巻物が存在していたのですが、嫁いでいった者が嫁ぎ先に持っていってしまい、私の父親がその巻物を見て一部だけをノートに記録して、我が家にとってはそれが家系図となっています。当の巻物が今もあることを願っているのですが、どうなっているのか。

湊川合戦で、河内を離れ、遠く出羽の地に逃れてきたとの記録があります。正行から続いていたかどうかはそのノートを再確認しないと思い出せません。

初めて父親の遺したノートを見たときは驚きましたが、うその家系図が出回った時代もあるようで、表ざたにするのは今回が初めてです。

かような掲示板があろうとは。

ご興味があるようでしたら、お盆の時にでもノートを確認してきたいと思います。

Re: 我が家の系図

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/08/09 (Tue) 10:39:58
凡凡様。

はじめまして。管理人の楠七郎です。
このたびは、掲示板への書き込みをしていただいて誠にありがとうございます。

巻物の家系図が残っているといいですね。

楠木氏が出羽に移った話は聞いております。
出羽には南朝方の拠点もあるので、そこを頼ったり呼ばれたりしたことでしょうね。

湊川合戦の後、河内方面の楠木氏の勢力はまだまだありました。
後醍醐天皇の吉野朝廷の意向で、北畠親房や顕家父子が関東や東北地方に移っていますが、それに武士として楠木一族の誰かが同行した可能性もあります。

お盆でノートをご確認していただき、名前の脇に何かの注釈などがあると、いい情報になるかもしれませんね。

無題

  • S
  • 2016/07/18 (Mon) 10:01:35
大阪の和田氏で楠正成と繋がりがある方を知っています。

本人も一族の方も、立派な方々ばかりです。

Re: 無題

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/07/18 (Mon) 22:01:04
S様

はじめまして。
管理人の楠七郎です。

お知り合いの方が、和田氏や楠木氏の子孫の方なんですね。

お聞かせいただけるような話題があれば嬉しいですが、
知人となると、なかなか難しいでしょうね。

その知人の方にも、このサイトを知ってもらえると嬉しく思います。