(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

正儀の最期に関する質問です。

  • 岡上
  • E-mail
  • 2024/01/29 (Mon) 22:06:32
楠木正儀の終焉の地と書かれている鳥羽の光明寺とは現在もあるのでしょうか。正儀の最期は判然としないとも言われていると思います。気になります。

Re: 正儀の最期に関する質問です。

  • 楠七郎@管理人
  • 2024/01/30 (Tue) 12:40:26
岡上様

この度は掲示板へのご質問、ありがとうございます。

鳥羽の光明寺さんは実際に現地に行っておりませんので未確認ではありますが、
地図等をみると今は無いように思われます。

あるお寺の寺伝を記事にしたのですが、
過去の地図等までは、まだ私は調べておりません。
申し訳ございません。

楠木正儀がどのように亡くなったかは不明ですが、
今後、新資料や新解釈などで判明すると嬉しく思います。

力不足で、このような回答しか出来ません事をお詫びします。

「上岡系譜」/メール送信のご案内

  • 山崎義彦
  • E-mail
  • 2024/01/06 (Sat) 16:20:34
管理人さま

 初めまして、高知の山崎義彦と申します。

折に触れ「南木」を拝見しています。
実は、5年程前より「上岡系譜」の調査していて、
系譜に出てくる人物の紹介等に役立てています。
系譜は正伝か誤伝かは不明ですが、50%と思い調査中です。

私の自己紹介をします。
「南木」HP史跡地図(大阪府以外編) 
の高知県のコーナーにある河内神社より川を下ると
北川の集落にでます。その北川地区の出身です。

私は、結婚するまで、上岡(かみおか)の苗字でした。
現在は山崎を名乗っています。
これまで、調査内容を親族に送信していたのですが、
今年になり、今までの調査結果を全て纏めてメール配信しようと考えています。
1週に3ファイル程を順次送付予定です。

つきましては、もし、関心がございましたらメールのCCにて送信を考えています。
管理人の関心のある内容も少し含まれているのではないかと思います。

必要ならば、ご連絡を下さい。

PC  yy5-2304@outlook.jp
スマホ   yy5-2304@ma.fiimo.jp

以前PCに届かないメールがありましたので、
お手数ですが両方に送って頂くと助かります。

住所  高知市横浜新町5-2304
スマホ  090-2785-2304

以上です。

Re: 「上岡系譜」/メール送信のご案内

  • 楠七郎@管理人
  • 2024/01/19 (Fri) 09:02:49
山崎義彦様

はじめまして。

返事が大変遅くなり、誠に申し訳ございません。

いつも南木をご覧いただきまして誠にありがとうございます。

後ほど、メールさせていただきます。

お久しぶりです

  • 智本光隆
  • Site
  • 2022/09/15 (Thu) 23:19:43
管理人様、ご無沙汰しております。
ご記憶か分かりませんが、楠木正具を主人公にした『神剣の守護者』を描いていた歴史作家の智本光隆です。

先月のことですが、久々の新作である『猫絵の姫君ー戊辰太平記ー』を上梓しました。主人公は新田義貞の末裔である岩松武子(後の井上馨夫人・井上武子)の、幕末が舞台の小説です。
新田官軍など登場するので、一応は南朝物ではあります。楠木関係は・・・少年時代の高村光雲が銅像の話をしているシーンくらいしかないのですがw

私もブログを移転したり、インスタはじめたりしまして、旧ブログの整理をしていて楠七郎様のことを思い出しました。ただの宣伝になっていますが、どこかで見かけた時はお手に取っていただければ幸いです。

智本光隆

Re: お久しぶりです

  • 楠七郎@管理人
  • 2022/09/24 (Sat) 22:53:06
智本光隆様

お久しぶりです。
お元気ですか?

以前購入しました作品は、私の本棚にあります。
覚えております^^

新しい作品、ご出版おめでとうございます。
ぜひ、また本屋で買って読みたいと思います。

お知らせ、ありがとうございますm(__)m

Re: お久しぶりです

  • 智本光隆
  • Site
  • 2022/10/13 (Thu) 18:22:51
智本です。
お陰様で元気でおります。


随分と前作から時間が空いてしまいましたが、ようやくと新作に辿りつきました。
ここまで、北畠顕家を描いたりとかいろいろありましたが・・・
今回は部数があまり多くないので、置いていない書店もあります。
その場合はAmazonなどをご利用いただけると。

ブログは移転しましたが、以前のものもまだ生きておりますので、
感想などお聞かせいただければ嬉しいです。

多聞丸

  • マミィ
  • 2022/09/08 (Thu) 15:12:07
朝日新聞の新聞小説、人よ、花よ、は楠木正行幼名多聞丸を主人公に始まったばかり。出てくる地名や人名を検索してこの掲示板にやってきました。過去ログをたどってどなたかのおっしゃる楠木正成の大河小説実現あるかもと思いました。今後はゆかりの地をたどりたいと思います。

Re: 多聞丸

  • 楠七郎@管理人
  • 2022/09/10 (Sat) 22:53:50
マミィ様

この度は、掲示板への書き込みをしていただいて誠にありがとうございます。

その新聞小説の連載が始まったことは存じております。

私のサイトは、スマホで見にくいため、なかなか検索上位に上がってこないのですが、
見つけて頂いて、うれしく思っております。

なにか参考になるような情報があったでしょうか^^;

ゆかりの地を探すのに、このサイトの楠木マップをご覧いただけると役に立つかもしれません。

Re: 多聞丸

  • マミィ
  • 2022/09/11 (Sun) 21:57:27
マップ拝見しました。
実は南河内の一角に住んでいまして、金剛山や千早赤阪村などにも行っています。
これからは意識して歩きたいと思います。

Re: 多聞丸

  • 楠七郎@管理人
  • 2022/09/24 (Sat) 22:47:52
ありがとうございます。

新しい発見がありましたら、ぜひ教えてください。

熊野楠木氏の子孫について

  • 木村
  • E-mail
  • 2022/07/30 (Sat) 02:21:11
初めまして。妻の実家は「預」と言い、今は東京ですが元々は和歌山の出で、熊野本宮の宮司で、楠木正成の子孫であったと言われてきたそうです。家紋は菊水で、古い端午の節句の兜・胴・弓矢に菊水が入っていました。残念ながら、系図は戦争のときに紛失したとのことでした。

さて、画像は昭和9年に発行された西瀬栄一著「南紀風物詩」という書籍ですが、この中に妻の3代前の預森彦氏の話があり、消失したとされる系図のことも書いてありました。
それによると、

・楠木正成は熊野国造の血をひいている
・正儀から8代目良治が本家竹ノ坊家に入った
・楠不伝も竹ノ坊から出た
・熊野本宮大宮司 廣村 の孫が森彦氏

戸籍謄本で確認したところ
・森彦氏は、竹坊家から預家への養子であった

なお、預家の墓は史跡となっている熊野本宮の竹ノ坊屋敷跡の裏手にあります。そこと方向が違う方に竹ノ坊と楠家の墓があるようです。

分かったのは、ここまでです。

ネットを検索してみましたが、熊野筋の子孫の話はほとんど出てきません。 長禄の変や正理、行康については一次資料がわかりませんでした。熊野楠木筋はあまり認められていない感じなのでしょうか?


「熊野巡覧記」には、楠嘉兵衛良清(楠木不伝)は、新宮の出で、その後本宮の竹ノ坊に縁があって住まわせてもらったことのようです。

森彦氏によると熊野楠木家の本家とされている竹坊家についてはどうなっているか不明で、名字サイトによると熊野に残ってはいないようです。

というわけで、
楠木正成の子孫が熊野(本宮)で宮司になったとすれば、資料はどのあたりにありそうでしょうか?
本宮宮司としての、楠氏、竹坊家、預氏との関係は?
といったあたりがよくわかりません。

何等かの情報や資料があれば、教えていただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。


Re: 熊野楠木氏の子孫について

  • 楠七郎@管理人
  • 2022/08/01 (Mon) 20:44:45
こんばんは。

木村様

この度は、へんぴなサイトへのお越しいただきまして、
また、掲示板への書き込みまでしていただいて、誠にありがとうございます。

たいへん貴重で興味深いお話で、うれしく思っております。

ご質問等には、まったくもって至らないお答えしか出来ませんが、
熊野国造の楠系図に、熊野の神職云々と書かれていたように記憶しております。
また、鎌倉時代末期に、熊野地方の楠氏一族が、楠木正成一党の助けに来てたというのも何かで読んだきがします(太平記??)
私も調べたいところであったのに、現実の生活が忙しくなり、探求が停止しておりまして、
うろ覚えの記憶で、申し訳ございません。

http://kusunoki.komusou.jp/kumano.html

↑↑このページの画像は見て頂けたでしょうか?

楠木正成の子供や孫、それ以降の世代は、足利幕府から睨まれ、見つけ次第、捕まえられると聞いたことがあります。
世の中から隠れる一つの方法として、寺や神社の職に就くことは、身を守ったっり、一族をかくまったりするのに都合のいい場所でもあったと推測しています。
また、苗字を変えて生き抜いたとも聞いております。
楠木氏の子孫と名乗られる方で、楠木(楠)の字以外の家が多いのもそう証拠でしょうね。

私自身は、楠木正成は熊野方面との縁はあると思っております。
正成が世に出る何代か前に繋がるのではと思っているのですが、
証拠も資料も何もなく、ひとりの勝手な思いだけです。

Re: 熊野楠木氏の子孫について

  • 木村
  • E-mail
  • 2022/08/02 (Tue) 18:11:34
楠七郎@管理人 様

ご返答ありがとうございます。
なるほど、苗字を変えたのはそういう理由でしたか。
熊野筋の話については、あちこちで見かけるのではありますが、まったく欠落している系図や記事も多いように思いました。
「南木」ではかなり記事や写真がありましたので、何か根拠となるような一次資料があれば知りたいと思った次第でした。
上記の熊野の墓の写真ですが、
「楠良治夫妻の墓」
「その楠氏の墓」
「楠不伝良清の墓がある墓地」
はそれぞれどこなのでしょうか?
「その楠氏の墓」については
熊野国造・楠氏の墓(熊野本宮大社の裏山にある竹之坊墓地)
https://f.hatena.ne.jp/bravi/20191230233620
と同じだと思います。他にもこの場所について書いてあるサイト(どこだかわからなくなりました)があり、そこには番地がありましたので検索したところ、ここかなと思いました。
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92647-1704+%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%94%B0%E8%BE%BA%E5%B8%82%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E7%94%BA%E8%80%B3%E6%89%93/@33.8364497,135.7708821,479m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x60065a44f94274d5:0xb123683f63118a59!8m2!3d33.8199916!4d135.7769817

なお、竹ノ坊屋敷跡はそこから南南西150mほどにあります。
預家の墓群は、竹の坊屋敷跡の西100mほどにあります。

もう少し資料をまとめたら、熊野本宮や楠木同族会とも連絡を取ってみようかと思います。







Re: 熊野楠木氏の子孫について

  • 楠七郎@管理人
  • 2022/08/02 (Tue) 21:22:28
木村様

パソコンからが見やすいと思いますが、

楠良治墓

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1mR1le--5MmgaGJE9uow3W5rbmkQ&ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=33.89160325818786%2C135.6043193305249&spn=16.461813%2C21.533203&z=10

楠良清墓

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1mR1le--5MmgaGJE9uow3W5rbmkQ&ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=33.89160325818786%2C135.6043193305249&spn=16.461813%2C21.533203&z=10

これでみれるでしょうか?

見れなければ、
「南木」のトップページの上の方に、
史跡地図(大阪府以外編)のリンクから、
各地にある楠木一族の史跡をご覧いただけます。

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1mR1le--5MmgaGJE9uow3W5rbmkQ&ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=39.918743450283%2C139.74609400000003&spn=16.461813%2C21.533203&z=5

そのページの左側には、名称を付けておりますので、
お探しいただければ有難いです。

>なるほど、苗字を変えたのはそういう理由でしたか。

私が勝手に思っているだけなので、確証はありません^^;
楠の字を分解したようにも見える、木南氏は南木さんの名前がありますが、
以前、お会いした「木南」さんにご先祖様は楠木正成ですかと聞いたら、
そういう言い伝えが我が家にはありますと言っておられました。

私は、地名でも、この法則のような変化があるのでは思っておりまして、
私の先祖の出所の「南木の本」も、ひょっとしたら、楠本という地名だったのかもと思ってしまっております。

ちなみに私は、同族会には所属しておりません^^;

Re: 熊野楠木氏の子孫について

  • 楠七郎@管理人
  • 2022/08/02 (Tue) 21:25:12
木村様

投稿後確認しましたが、リンク先にご案内は失敗でしたm(__)m

「南木」のトップページの上の方に、史跡地図(大阪府以外編)のリンクからお願いしますm(__)m

Re: 熊野楠木氏の子孫について

  • 木村
  • E-mail
  • 2022/08/02 (Tue) 22:25:28
墓のMapの件、ありがとうございます。

やはり、竹ノ坊の墓はどこかで見た番地で合っているようです。機会があれば行ってみようと思います。

楠良清(不伝)の墓は、妻の家である預家墓群の一角のようです。

楠木正成の子孫が熊野に住んだかはともかくとして、その後の系図や伝承とは一致しているようです。


それにしても、凄い数の関連した地があるのですね。あらためて素晴らしい調査をされたものだと感服いたしました。


Re: 熊野楠木氏の子孫について

  • 楠七郎@管理人
  • 2022/08/02 (Tue) 23:44:28
MAPをご覧いただきありがとうございます。

預家墓群の一角だったのですね。

余談ですが、その楠家の墓群に一つだけ「阿刀」と彫られたお墓があったと思います。
うちの「南木の本」周辺は、物部氏の勢力地で、地名も昔は「あと」なんですよね。

MAPは、ほとんど私の友人の力作です。
僕はちょっとだけです(><)

お久しぶりです

  • 楠七郎@管理人
  • 2020/03/30 (Mon) 21:14:41
PCの買い替えで設定しなおすのに時間がかかりました。

お詫び申し上げます。

八尾氏について

  • 奥州八尾
  • 2018/10/30 (Tue) 14:23:08
こんにちは
楠木八臣の一人、八尾別当顕幸に養子に入った楠木八郎正任(マサヒデ)が八尾八郎正任になり出家し越前で賢秀となり(和田源秀同一視されるが別人)、新田義貞と共に戦うため還俗し、八尾八郎正利となったとされています。その後負傷し隠遁したとされています。
正成の弟とされていますが、年齢から従兄弟ではないか?という事です。

本家の八尾別当家は滅んでしまったらしいので残っている八尾家は八郎正任の子孫だと思います。
うちの祖父が駆け落ちして勘当されたので(没後解かれた)父や叔父の話しか聞いていませんが九州で旧家だったのは間違いないとのことでした。

Re: 八尾氏について

  • 楠七郎@管理人
  • 2018/11/01 (Thu) 12:24:54
この度は、貴重な情報ありがとうございます。

私は初めて聞いた話です。
各地に楠木一族や家臣等が移り住んだとは思っておりますので、八尾氏の話は興味深く読みました。

あいにく、他に情報を持ち合わせていませんので、お役に立てませんが、
また私も何か聞きましたら書き込みしたいと思います。

Re: Re: 八尾氏について

  • 奥州八尾
  • 2018/11/28 (Wed) 11:03:30
返信ありがとうござます。
大阪府八尾市の常光寺に八尾別当顕幸の墓がありまして、よくよく見てみると、墓の真前の付属する石に菊水の家紋が入っておりました。私の勝手な推測ですが楠家の誰かが後から祀ったものかと思われます。
また何か情報がありましたら、書き込みます。

Re: Re: Re: 八尾氏について

  • 楠七郎@管理人
  • 2018/12/10 (Mon) 22:59:23
私は、その八尾市の出身ですが、誰が建てたかお寺で聞いてみますね。

Re: Re: Re: Re: 八尾氏について

  • 奥州八尾
  • 2019/01/11 (Fri) 12:11:54
大阪の八尾市には一度行ってみたいと思っております。常光寺は源満仲の子、源賢(幼少名美女丸)が建立したと思います。その後八尾別当源賢になって代々受け継いだと言うことです。別当とは僧侶でも世襲を許されたと言うことらしいです。最初聞いた時は「胡散臭い生臭坊主だな」と思いました(笑)

楠木正儀の大河ドラマについて

  • 正田前 次郎
  • Site
  • 2018/12/08 (Sat) 13:42:07
管理人さま
 はじめて投稿させていただきます。私は南北朝時代に興味をもち、楠木正儀で大河ドラマを作ったら面白いのではないかと思い、『大河小説 南北朝時代/楠木正儀 伝』という小説を書きました。
 昨今、関西の自治体による楠木正成の大河ドラマ誘致活動が活発です。ただ、正成の名に過剰に反応する方もおられるかもしれませんので、NHKさんが及び腰にならないかと心配になります。
 一方、和睦を求め続けた楠木正儀を主人公とすれば、父正成の活躍も遠慮なく描けると共に、南北朝の分裂から合一までの日本の歴史を知らしめるという、大河ドラマの意義が生まれると思うのです。管理人さまは、大河の主人公として正儀をどう思われるでしょうか。何れにしても、そろそろ、楠木正成を大河ドラマで見てみたいものです。
 なお、小生の小説は、角川が運営する小説投稿サイト「カクヨム」に投稿しております。厚めの文庫本、四巻分のボリュームなので、気軽に読んでくださいとは言えませんが……。

Re: 楠木正儀の大河ドラマについて

  • 楠七郎@管理人
  • 2018/12/10 (Mon) 22:55:56
こんばんは。

この度は、掲示板に書き込み頂きましてありがとうございます。

私も以前から、大河ドラマで南北朝時代をするならば、楠木正儀が主人公なら良いなと思っておりました。

いつの日か、また南北朝時代をやって欲しいと思います。

本の送付

  • 片岡功
  • E-mail
  • 2018/04/15 (Sun) 05:49:09
以前、奴茶屋の情報を交換させていただきました片岡です。
1400年代の片岡氏にかかわるお話を本にいたしました。
この中で楠木正次が出てまいります。楠木さんへ1冊贈呈したい
ので、送付先のご連絡をお願いいたします。

Re: 本の送付

  • 楠七郎@管理人
  • 2018/04/23 (Mon) 08:45:57
片岡様、お世話になっております。

メールを先にいただいておりましたのに、返事が遅くなり申し訳ございません。

先ほど、メールしました。
どうぞよろしくお願いいたします。

和歌山出身の楠木一族です

  • 楠木正儀流則岡氏
  • 2018/01/16 (Tue) 21:38:56
はじめまして、私は和歌山県有田市の則岡氏の一族です。
出自は「大楠公」の孫「河内三郎正則」の末裔です。「湊川神社楠木同族会」にも入会しています。
なお、現在の生活は分かりませんが、有田市の嫡流とは別に当家の支流2家が和歌山城に出仕していました。
ごく最近、「東京大学史料編纂室」に当家の系図を100年ぶりに発見しました。
私は分家ですが、嫡流の本家は和歌山市内で健在です。
理由は分かりませんが、明治時代に、有田市から和歌山市へ転居し、現在にいたります。

Re: 和歌山出身の楠木一族です

  • 楠七郎@管理人
  • 2018/02/03 (Sat) 23:58:19
楠木正儀流則岡氏様

このたびは返事が遅くなりまして申し訳ございません。

貴重な情報、ありがとうございます。
私は、何もお伝えする情報を持っておりませんm(__)m
何か新たな交流がこの掲示板をきっかけにおこるといいですね。