こんばんは。
木村様
この度は、へんぴなサイトへのお越しいただきまして、
また、掲示板への書き込みまでしていただいて、誠にありがとうございます。
たいへん貴重で興味深いお話で、うれしく思っております。
ご質問等には、まったくもって至らないお答えしか出来ませんが、
熊野国造の楠系図に、熊野の神職云々と書かれていたように記憶しております。
また、鎌倉時代末期に、熊野地方の楠氏一族が、楠木正成一党の助けに来てたというのも何かで読んだきがします(太平記??)
私も調べたいところであったのに、現実の生活が忙しくなり、探求が停止しておりまして、
うろ覚えの記憶で、申し訳ございません。
http://kusunoki.komusou.jp/kumano.html
↑↑このページの画像は見て頂けたでしょうか?
楠木正成の子供や孫、それ以降の世代は、足利幕府から睨まれ、見つけ次第、捕まえられると聞いたことがあります。
世の中から隠れる一つの方法として、寺や神社の職に就くことは、身を守ったっり、一族をかくまったりするのに都合のいい場所でもあったと推測しています。
また、苗字を変えて生き抜いたとも聞いております。
楠木氏の子孫と名乗られる方で、楠木(楠)の字以外の家が多いのもそう証拠でしょうね。
私自身は、楠木正成は熊野方面との縁はあると思っております。
正成が世に出る何代か前に繋がるのではと思っているのですが、
証拠も資料も何もなく、ひとりの勝手な思いだけです。