(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

我が家の系図

  • 凡凡
  • 2016/08/08 (Mon) 14:00:46
家は敏達天皇を先祖とし、美努王、橘諸兄、奈良麻呂、広相、そして楠木と家系図にあります。

そして正行から以降もあるのですが、実は家系図の巻物が存在していたのですが、嫁いでいった者が嫁ぎ先に持っていってしまい、私の父親がその巻物を見て一部だけをノートに記録して、我が家にとってはそれが家系図となっています。当の巻物が今もあることを願っているのですが、どうなっているのか。

湊川合戦で、河内を離れ、遠く出羽の地に逃れてきたとの記録があります。正行から続いていたかどうかはそのノートを再確認しないと思い出せません。

初めて父親の遺したノートを見たときは驚きましたが、うその家系図が出回った時代もあるようで、表ざたにするのは今回が初めてです。

かような掲示板があろうとは。

ご興味があるようでしたら、お盆の時にでもノートを確認してきたいと思います。

Re: 我が家の系図

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/08/09 (Tue) 10:39:58
凡凡様。

はじめまして。管理人の楠七郎です。
このたびは、掲示板への書き込みをしていただいて誠にありがとうございます。

巻物の家系図が残っているといいですね。

楠木氏が出羽に移った話は聞いております。
出羽には南朝方の拠点もあるので、そこを頼ったり呼ばれたりしたことでしょうね。

湊川合戦の後、河内方面の楠木氏の勢力はまだまだありました。
後醍醐天皇の吉野朝廷の意向で、北畠親房や顕家父子が関東や東北地方に移っていますが、それに武士として楠木一族の誰かが同行した可能性もあります。

お盆でノートをご確認していただき、名前の脇に何かの注釈などがあると、いい情報になるかもしれませんね。

楠・和田家の後裔について

  • 老虎
  • E-mail
  • 2009/08/03 (Mon) 17:48:32
楠木家に関する貴HP興味深く閲覧させて頂きました。
小生は和歌山市出身で現在都内在住の一老人ですが実は戦前より親たちから我が家の出自は楠木家だと聞かされ、系図もあったのですが戦災で全て資料も焼失し、その後はそのことには気にも留めていなかったのですが、齢も後期高齢者の仲間入りするようになり、今一度調べて見ようとネット検索しながら此処に辿りついた次第です。

古いほうは敏達天皇に始まり橘諸兄を通じて楠木までは大体歴史書等で辿れるのですが、知りたいのは此処に書かれている楠木・和田家の末裔の方はどうなっているのかなと言う点なのです。

我が家のお寺が高野山にありますので一度時間を見て訪ねて過去帳を当たって見ようかと思っているのですが、その前に少しでもブランクの部分を埋めるために楠木・和田家の後裔について何か知られていること、又、調べる方法について何かヒントになることがありましたらお教え頂きたく厚かましくも此処に投稿させて頂いた次第です。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2009/08/04 (Tue) 00:57:19
老虎さま、こんばんは、はじめまして。
管理人の楠七郎です。
このような稚拙なサイトにお越しいただきまして、また、書き込みまでしていただいて有難うございます。

系図があったのですね、すばらしいです。
焼失してしまったのはとても残念です。

私も、楠木家や和田家の末裔の方々がどのように今を過ごされているかについて、関心があります。
色々な伝承があって、それらの情報が集まればいいなぁと思っております。
以前、このサイトにも、ご子孫の方々からの書き込みがございました。

私の名字は「楠」で代々河内国に住んでおります(少なくとも220年前までは)が、残念ながら楠木正成に関する伝承はまったくありません。
無いどころか、たぶん関係ないやろという事を言っております。
家紋も菊水紋ではありません。

約220年前までの先祖が辿れたのも、数年前なのですが、
その時に調べたことが、老虎様のヒントになればと思いますので以下に書かせていただきます。
実際に色々と調べたのは、私の父ですので、私は偉そうに言えませんが^^;

まずは、役所に行って、我が家と親戚の協力も得て、戸籍謄本と除籍謄本を取得しました。
早く取得しておかないと、古い分は取れなくなるそうなので、早い目に役所で申請されることをお勧めします。
たしか、役所の保有期間が80年だったかな?
たまたま、慶応生まれの人物がいたので、江戸時代後期の先祖の記述を得ることができました。
本家での過去帳を調べたり、菩提寺で宗門人別改め帳を見せていただいたり、先祖の墓がある墓地で、同名の墓石を調べたり、家紋を調べたりしました。

菩提寺では、たまたま親しくお付き合いをさせていただいておりましたので、快く宗門人別改め帳を見ることが出来ましたが、お寺さんによったら、簡単には見せていただけないかもしれませんので、事前に連絡を入れて事情を話しておかないと、いきなり行っては何も見せてもらえないかもしれません。

都内にお住まいでしたら、なかなか高野山へは行けないと思いますので、連絡先がわかれば、電話や手紙などいかがでしょうか?
戸籍謄本等は、都内の役所から、出身地の和歌山市の戸籍謄本等が取れるのかは、私はわからないので、一度、最寄の役所でお尋ねして頂くのが宜しいかと存じます。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2009/08/04 (Tue) 01:18:02
続きです。

楠木正成の先祖や子孫(江戸初期ころまで)を調べれば、我が家の先祖とつながるかなと思って、このHPを作成しておりますが、
なかなかつながりません。

我が家のほうも220年前で止まっている状態ですし、南北朝前後や後南朝、戦国時代、江戸初期に活躍した楠氏の人物もHPにアップしていないのを含めても、広がりが出てきていないのが今の実情です。

紀伊国(和歌山県と三重県の一部)は楠系の姓が多いので、老虎様も、楠氏の裔の伝承があるのでしたら、そうなのかなと思います。

私個人的には、正成前後の世代の河内楠氏も、紀伊国(熊野か)から移動してきたと思っておるのですが、明確な資料もないので勘だけで申しておりますので信じないでくださいませ。
和田(にぎた)氏とも縁が深く、その流れが悪党と呼ばれた楠木氏かなとも想像しています。

南紀には「楠」という地名が古くからあり、その東側には、熊野本宮や新宮がありますので、その地名を名字にしているかもしれませんし、樹木のクスノキを名字にしたのかもしれません。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • うめきち
  • 2009/09/18 (Fri) 22:31:56
川端康成の大和の定宿である「江戸屋」が大和の分家和田氏です。
同家の墓は葛城市の某寺にあり菊水紋の墓石です。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2009/09/18 (Fri) 23:54:58
>うめきち様

情報ありがとうございます。
(o*。_。)oペコッ

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 2011/05/31 (Tue) 23:38:50
東京の和田です。
父から裏紋は菊水と前から聞いており、気になったのでネットで検索したところ楠公と和田氏が関係あることが分かり、こちらにたどり着きました。和田の姓は祖母の姓であり、大阪の和田家だそうです。祖母は東京に嫁ぎましたが、祖父が若くして他界。また、大阪の和田家を継ぐものが居なくなるので、和田の姓を名乗っているそうです。
実家には刀(戦国時代の長剣を切断したものとの鑑定)と槍があり、刀については油紙とともに14世紀の刀であることが記されていました。これが真実としたら正に正成公の活躍した時代のものであるようです。ちなみに当家の家(表)紋は橘です。なにかご存じのことがありましたらご教授願います。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2011/06/01 (Wed) 22:32:04
昇様。

はじめまして。

楠木氏と関係の深い和田氏は、家紋が橘紋というのはよく耳にします。
いくつかの和田氏の本姓が「橘」であると事から、家紋も橘なのかもしれません。

大阪周辺になりますが、墓地に行った時、楠木家や和田家の墓石を見つけては、その家紋をチェックしております。
和田家の家紋は、橘の家紋や菊水の家紋を見かけることが多いです。
おそらく楠木氏との関係が深いとの伝承も残っているのでしょうね。

個人的には、楠木正成の楠木家は和田氏からの分かれではないかと考えております。
和田氏はけっして楠木氏の配下ではなく、和田一族だけでも行動がとれる、それなりの勢力のある一族だと思っております。

先日、本屋さんで、大阪の和田氏について書かれた書籍を見かけました。
読んでみたいなと思ったのですが、書名も覚えておりません(o*。_。)o

また、和田という名字は和歌山県や三重県に多いと聞いております。
和田「わだ」という読み方は「わだつみ」信仰から来ているとも聞いております。

こんなことしか書けませんが、なにかの足しになれば幸いです。

Re: Re: 楠・和田家の後裔について

  • 和田
  • 2011/06/09 (Thu) 23:30:21
たまたまみつけて投稿させともらいました和田の末裔です
大阪の和泉近くに昔から住んでます
家紋ゎ菊水の紋です
よくおじいちゃんから話をききました
昔刀もあったらしいですがひぃおばぁちゃんが捨てたらしいです
良かったら返事ください

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2011/06/10 (Fri) 08:24:21
和泉の和田様

管理人の楠七郎です。
書き込みしていただいて有難うございます。
また貴重なお話にも感謝しております。
捨ててしまわれた刀は残念ですが、家紋がずっと伝わっているのがいいですね。
また、何か伝承があったら教えてくださいませ。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 花井重勝
  • E-mail
  • Site
  • 2013/10/21 (Mon) 00:53:45
初めまして、花井重勝と申します。私の祖母は大和新庄の和田家(江戸屋)の出自です。墓所は大和新庄の「慶雲寺」(臨済宗)です。家紋は「菊水」です。
私は「神戸湊川神社」(楠木同族会)に入れていただいております。全国から例祭には参集されます。因みに和歌山の「華岡青洲」も、旧姓は「和田」の出自です。
(PS)ホームページは私の事業所です。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • 2013/10/23 (Wed) 19:29:18
花井重勝様。
はじめまして。
管理人の楠七郎です。

このたびは貴重な情報をありがとうございます。

和田家の皆さんが繋がるといいですね。

ちなみに、私は同族会には入っておりませんが、知り合いが入っております。

Re: Re: 楠・和田家の後裔について

  • 初めまして。
  • 2013/11/10 (Sun) 02:54:18
私の家系も楠木正成の家系でおじいちゃんが戦争で家系図は置いてきてもう無いけど、ということを聞きました。
その家系ではずっと先祖が楠木正成で通っていますが、私自身もう根拠がありませんのでなんとも言えませんが、、、

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • 2013/11/12 (Tue) 08:17:31
初めまして。さん

書き込み、ありがとうございます。
管理人の楠七郎です。

戦争で無くなってしまったというのは残念ですね。
家紋とか他の親戚の方々から、何か情報がわかれば手がかりになるかもしれませんね。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • うめきち
  • 2014/01/06 (Mon) 20:47:30
花井様

どうやら同族の方とお見受けいたします。
昔、父から江戸屋には刀長持ちが4竿程有ったと聞いています。
詳しくはプライベートになりますので、メールを差し上げてもよろしいでしようか?

Re: 楠・和田家の後裔について

  • abc
  • 2014/06/12 (Thu) 22:34:46
実は、私も楠木家の子孫らしいです!
ひいおばあちゃんが、直属の子孫だったらしく、
家系図に名前が載っているらしいです・・・(笑)?

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2014/06/18 (Wed) 08:04:24
abc様。

はじめまして。
子孫であられるのですね。
その家系図に興味があります(*´ェ`*)

Re: 楠・和田家の後裔について

  • さいたまの楠
  • 2014/06/18 (Wed) 19:17:26
初めまして。さいたま市に住んでいます楠と申します。

自分の家系図が知りたく、ここにたどり着きました。

うちは祖母の旧姓(楠)を父がつぎました。
祖母の実家は石川の能登で能登岬の灯台の下に楠家の墓があります。
祖母は京都に嫁ぎ、京都御所の隣で祖父が亡くなるまでおりました。

京都の酒蔵へ和歌山・石川から出稼ぎに来た方々を家に泊めて面倒を見ていたようです。

何かわかればご助言ください。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • デトロイトの山田守
  • 2014/11/03 (Mon) 02:45:13
私は楠木家と血縁関係はありませんが、河内生まれで河内育ち。中学生の頃から太平記を愛読し、四條畷高校を卒業し、湊川神社で入学式をする神戸大学を卒業しました。大学は赤松城址に立っているようです。

さて、大学の先輩に、和歌山出身の和田さんがいらっしゃいます。かれの曽祖父が和田義郎といい、東京で、和田塾を設立しました。適塾の友人なのかもしれませんが、友人の福沢諭吉から請われて、慶応大学の小学校になったとのことです。慶応では、小学校と言わず、幼稚舎というそうです。かれもデトロイトの郊外に住んでいますが、先祖には「義」の字が付く人が多いそうです。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • クロレッツ
  • 2014/11/11 (Tue) 20:18:39
  
南北朝の戦いで 四人の兄弟が南朝、北朝に別れた時、北朝側についた方の和田の直系です。
江戸時代は熊川宿、今の福井県若狭町で蔵奉行の職を任されていました。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2014/11/12 (Wed) 15:28:12
さいたまの楠様。

掲示板への書き込み、ありがとうございます。。
なぜか、返信した書き込みが出ておりませんm(__)m

加賀前田家に仕えた楠氏がいると聞き及んでおります。
その関連で、能登にお墓があるのでしょうか。

家紋とかも知りたいところです。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2014/11/12 (Wed) 15:35:43
デトロイトの山田守様

このたびは、書き込みありがとうございます。

生い立ち、楠木氏関連のゆかりの地ばかりですね。すごいですね。

また、和田さんのお話もありがとうございます。
その方も、楠木氏と何か関連がある方なんでしょうか?

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2014/11/12 (Wed) 15:45:57
クロレッツ様。

このたびは、書き込みありがとうございます。

北朝側に仕えた和田氏の方のお話は貴重だと思います。
北朝側に仕えた楠木氏もいるはずなんですが、なかなか聞かないのです。

クロレッツさんのご先祖は、室町や戦国時代、どこかの大名に仕えていたのでしょうか?

Re: 楠・和田家の後裔について

  • さいふぁ
  • 2015/03/19 (Thu) 11:16:21
自分の先祖って、どうなのかな?って検索していたら
ここにたどり着きました。

はっきりと誰だかが分からないけど
クロレッツさんの親戚(たぶん従兄弟位?)だと思う。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2015/03/19 (Thu) 11:40:02
さいふぁ様

こんにちは。

ここでの書き込みがきっかけで縁が深まるといいですね。
従兄弟くらいなら、けっこう近い親戚になりますね。

楠・和田家について

  • 倭 和田
  • E-mail
  • 2015/04/23 (Thu) 12:11:38
こんにちは 初めて書き込みをさせて頂きます。
この度 湊川神社の楠同族会に入会しようかと色々検索していた所このサイトに出会い書き込みを致しました次第です。
我が 和田家は 奈良県吉野町下市町本町に住んで居たのですが 昭和12年に下市で大火事があり移住したらしいです。
下市へ住む前は吉野郡天川村和田という所に住んでおり20年位前に天川村和田まで調べに行った折現在は和田家は1件も無く移住している様でした。その天川村和田へは 南北朝時代に 和田孫次郎正頼が天川村和田へ南朝と共に移住したと聞いております。
正頼の親は和田和泉守正武で岸和田城主であったようです。(岸に和田家が城を構えて岸和田と言う地名になった模様)その先祖を辿りますと 現紀の川市に古和田という所があり そこに住んだ時に和田の庄 和田国造と名乗り 和田良冬より満俊となります。またその祖先を辿りますと ニギハヤヒの命を開祖とし熊野本宮大社で神職を行っていたようです。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02125.htm#001

私は楠同族会に入会しようかと思っておりますが 入会資格はあるのでしょうか?
また、こちらの皆様で 楠同族会に入会されている方はおられますか?
よろしくお願い致します。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • かかし
  • 2016/07/19 (Tue) 16:10:07
大阪の河南町に和田家があります。
家紋は菊水です。
家の中には、枯山水(水が流れていない)と水が実際に流れている枯山水の2つの山水があります。
また、1畳の袱紗があり菊水紋は金糸で作ってありました。
鎧、刀も沢山あり、太平洋戦争ではかなり量の鉄(刀、鎧)を寄付したと聞いています。

残念ながら和田家の本家は10年ぐらい前に火災で消滅しましたが、石垣は残っています。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/07/21 (Thu) 23:00:34
倭 和田様

こんばんは。
返事が遅くなりました。誠に申し訳ございませんm(__)m

同族会に所属されている知人がいますが、私は、入会しておりません。
ですので、資格はわからないです。すみません。

また、仕事で知り合った人で、吉野郡の和田というところから来たという和田さんがいました。
その人と会う機会があれば、また何か情報が得られるかもと思っています。

Re: 楠・和田家の後裔について

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/07/21 (Thu) 23:10:33
かかし様

菊水ですか^^
立派なお家みたいですね。
実際に見たら、強く印象に残ることでしょう。

火災にあわれたのは、非常に残念です。

無題

  • S
  • 2016/07/18 (Mon) 10:01:35
大阪の和田氏で楠正成と繋がりがある方を知っています。

本人も一族の方も、立派な方々ばかりです。

Re: 無題

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/07/18 (Mon) 22:01:04
S様

はじめまして。
管理人の楠七郎です。

お知り合いの方が、和田氏や楠木氏の子孫の方なんですね。

お聞かせいただけるような話題があれば嬉しいですが、
知人となると、なかなか難しいでしょうね。

その知人の方にも、このサイトを知ってもらえると嬉しく思います。

過去帳は六代位前ですから廃藩置県前は河内藩の蛙切りだったかも

  • 楠本 正邦 80才
  • 2016/06/29 (Wed) 18:07:35
楠本神社やトコヨ信仰を読んでいてこちらのトピを偶然見つけて同性の皆さま方の書き込みを親しく拝見致しました、
千早赤阪村へ40年程前に6才と4才の子供と家内とで車に犬を乗せて奈良から(マス釣り)に行った事があります、

Re: 過去帳は六代位前ですから廃藩置県前は河内藩の蛙切りだったかも

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/06/29 (Wed) 22:38:50
楠本正邦様。

はじめまして。
管理人の楠七郎です。

このたびは、掲示板への書き込みをしていただきまして誠にありがとうございます。

楠本姓の方の訪問も多いようで、皆様の交流の場になればうれしいです。
過去帳とかからも、何か繋がるといいですね。
今も奈良にお住まいなんでしょうか?

【 埼玉県警察学校 校長 小河進 副校長 岩淵敏雄 が業務上横領 】

  • 埼玉
  • Site
  • 2016/06/23 (Thu) 21:23:25






【 埼玉県警察学校 校長 小河進 副校長 岩淵敏雄 が業務上横領 】


12月6日 さいたま県警の元幹部でさいたま市警察部長(警視正)まで務めた警察OBの田中三郎氏(60歳)が、埼玉県県政記者クラブで記者会見を行って、元埼玉県警察学校長等 を 業務上横領の疑いでさいたま地検に告発したことを明らかにした。


記者会見には、「明るい警察を実現する全国ネットワーク」の代表で田中氏の代理人である清水勉弁護士と同ネットワークの会員で「市民の目フォーラム北海道」代表の原田宏二が同席した。

埼玉県警察学校の学生と教職員の任意団体「校友会」が、構内の売店業者から売上金の3%を「助成金」名目で上納させていたが、
告発状によると田中氏の前任だった平成16年当時の校長(警視正 既に退職)は、庶務・厚生担当事務官(警部級)に「助成金は、当時の副校長(警視)に渡すよう」に指示し、平成16年4月から12月までの間の「助成金」計約125万円を「校友会」の出納帳に記載せず、
当時の校長や副校長ら3人が着服したとしている(告発状はPDF参照 http://www.ombudsman.jp/fswiki/wiki.cgi/akarui?action=PDF&page=%BA%EB%B6%CC%B8%A9%B7%D9%BB%A1%B3%D8%B9%BB%A1%A1%B9%F0%C8%AF%BE%F5 )。


埼玉県警察学校 校長 小河進 は 幹部職員(警視正)でありながら業務上横領。
埼玉県警察学校長→ 交通部長 →勇退(退職金全額もらい退職)。その後、一般財団法人 埼玉県警察福祉協会 理事に。
処分を受けずに天下り?
http://blog.livedoor.jp/saitamalivdoor/archives/3297522.html



【 埼玉県警察学校 校長 副校長が業務上横領 】
埼玉県警察学校の元校長が前任者ら3人 (警察学校長 小河進 副校長 岩淵敏雄)を業務上横領で刑事告発
http://blog.livedoor.jp/saitamalivdoor/archives/3297533.html

埼玉県警 不祥事
https://twitter.com/saitamatwitt


ブログ風な備忘録として

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/06/16 (Thu) 23:14:54
NHK大河ドラマ「真田丸」が北条攻めで「忍城」のことが出てきました。
ちょっと思い出しました。
忍城の攻防戦を取り上げた「のぼうの城」という映画を以前みましたが、その時に、菊水の旗が揚がっておりました。
城主成田氏の家臣に楠木がいたっけ?なんて思いながらググってみたら、正木丹波守の家紋だとか。
正木氏といえば、戦国時代の里見家を思い出しますが、この南総の里見の正木家と関係あるのかな?それとも、楠木の子孫とか?
そういえば、我が楠家の住んでいた中河内の南木の本村にも、正木さんって何軒か今もあるのよねぇ。
楠木正成に代表される「楠木正○」という楠木氏の名乗りのパターンから「正木」の姓が生まれたのかなと勝手に思ったこともあります。足利幕府の追及が強かった時代は、「楠木」も名乗れず、分解した名前にしたりして生き抜いたそうなので、「正木」のパターンもありきかも。

それから、「忍城」の「忍」。
鎌倉幕府の時代に著された「吾妻鑑」には、忍三郎、楠木四郎、忍五郎という順で出ているとか。建久の頃のこと。
三郎、四郎、五郎とありますが、なんで、四郎だけ楠木なの?って思ってましたが、
四郎が養子に出たとか、なんらかの理由で楠木を名乗ったとか。
吾妻鑑は建久よりも後に編纂されたので、当時は「忍四郎」だったけど、その子孫は楠木だから、楠木四郎って書いてたらとか、建久の前は「忍」だったけど、建久のころは「楠木」だよとか思いながらネットを見ていたら、忍四郎、承久の乱で討ち死にって記録があるそうな。

湊川の戦で戦死した楠木正成の首を今の埼玉県に埋葬したと伝わっていますが、意外と、正成の先祖の地が埼玉県行田市や群馬県館林市周辺だったので、首というか何かの遺品を先祖の地へ運んだのかもね。

正木丹波が創建された高源寺も菊水紋だとか。
いつか行かねば。

太平記のファンです

はじめまして雪狼と申します。

小学生のころから太平記に熱中し、この1~2年は岩波文庫から太平記が刊行されているので読み直し始めていました。
昨年秋の連休には福井県の新田義貞関連の土地をドライブし、今年のGWには京都を旅行し、市内の名和長年墓、比叡山の千種忠顕墓、そして笠置山や男山八幡など南北朝時代ゆかりの場所を歩いてきました。

はじめて太平記を読んだ時に一番印象に残ったのは楠木正行の突撃の場面です。桜井の別れの印象があったせいか、少年武将が奮戦しているのだと勘違いしたことがありました。

自分が住む宮城県は北畠顕家ゆかりの多賀城があり、県北部には顕信が幕府と合戦したと言われる場所があり、また顕家が最後に拠点とした霊山(福島県)は車で二時間ほどで行くことができます。

写真は平泉寺にあった楠木正成の墓です。平泉寺衆徒だった正成の甥恵秀律師が正成の騎馬姿を夢に見て、その後戦死を知り五重塔を建てたのだそうです。
(とっくにご存知でしたらすみません)

Re: 太平記のファンです

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/05/27 (Fri) 22:53:53
雪狼様

はじめまして、管理人の楠七郎です。

このたびは、書き込みをしていただいてありがとうございます。
太平記関連の史跡巡りをされたのですね。とっても羨ましいです。

楠木正行のそのシーンが印象に残っていたとの事、なんかよくわかります。
私の家からもわりと近いので、そこへ行くと一緒に行軍している気分になったものです。

北畠顕家といえば、風林火山の旗印!ということを思い出します。
書き込んでいただいた所は、東北に行くことがあれば、ぜひ、行ってみたい場所です。

恵秀の話、ありがとうございます^^
存じておりましたが、まだ、お参り出来ておりません。
いつか行くぞ^^

画像、誠にありがとうございます。

Re: 太平記のファンです

どうも、返信ありがとうございます。

次の旅行は吉野や四条畷かな~などと思ってしまいました。
東北には南北朝関連となると霊山と多賀城以外にめぼしいものはありませんが、
ちょっと面白い写真を御紹介しておきますね。
青森県新郷村にある長慶天皇の墓です。

まあ、本当に長慶天皇がここに来たとは到底思えないのですが(笑)

Re: 太平記のファンです

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/06/01 (Wed) 22:29:51
長慶天皇陵はたくさんありますね。

そこもいつか行きたいです。

無題

  • 大規模犯罪の拡散
  • 2016/05/28 (Sat) 02:36:39
ミクルって掲示板の『創価の実態』ってトピを見てる人へ

この文書を拡散中→『希代のワル、豚ダニの池田大作が作った公明党(創価)が、波動を悪用して、一般人や学会員を病気にしたり、事故に合わせたりする、危険な組織だって事が世間に知られてないので、拡散させてます

より多くの人に、この事実を知ってもらう事で、この犯罪は減って行きますから、メクラ滅法にバラまいて、世間に浸透させてます

この犯罪は、総体革命といって、政界や財界や医療界やらの各分野に、創価信者を送り込んで、日本を乗っ取る革命で、それらに所属してる創価信者が、連携しながら指導してや ってる、国家犯罪です

公明党が与党になってから、精神科、心療内科が急増、障害者手帳を持つ人が急増、向精神薬の売り上げ急増、教師の長期休暇急増、精神障害になって労災請求する人が急増してます。何十年にも渡って、人知れず多くの人に災いを与えて来た政党が、公明党です。逆に言うと、公明党が野党に転落、もしくは政界から退けば、この卑劣な犯罪は激減するって事です

この犯罪は、人工衛星のGPSや遠隔計測法を用いて、人工知能が波動を使ってやるので、日本全国、世界各国どこに居てもピンポイントで痛みや病気を作れますし、どこに居ても監視盗聴が出来ます。遠隔からプラスチックを割ったり、袋に穴を開けたり、物を凍らせたりも出来ますから、当然地震すらも作り出せます。ちなみに熊本の地震は、このクソ共のしわざです

人工知能が、世の中のほぼ全ての人を、24時間体制で監視盗聴して、その家庭の家族構成、生活スタイル、家庭環境等の情報を取り込んで管理し、創価の用途に応じて、それに適した人間を瞬時に選び出して、功徳や仏罰や嫌がらせに利用します

身近な例を出すなら、人工知能(AI)を搭載した、完全自動運転車をGoogleが開発してます。青信号では進む、赤信号では止まるって事はもちろん、事故らないように、車間距離をとったり、速度調節したり、360度全てに目が行き届いてて、それらを、人工知能が全て判断してやります

人工知能の技術も進歩してて、人工知能自身があらゆる情報から学んで、経験から学習して、その問題に、最も適した手を選びます

創価公明は、この技術を大規模化したもので、集団ストーカーやらノイズキャンペーンをしたり、病気を作ったり、痛みを与えたり、事故らせたり、殺人に駆り立てたりします。この世の災いの殆どは、このクソ共が作り出してます

あまりにも大規模かつ、高度のテクノロジー技術を使ってやるので、真相を教えても、SFやファンタジーの世界、非現実な絵空事、妄想が作り出した錯覚、キチガイの戯れ言にしか感じられない人が多いのが現状です

創価公明の嫌がらせの手法のひとつに、ノイズキャンペーン(騒音の嫌がらせ)てのがあるんですけど、救急車のサイレンで嫌がらせする為だけに、わざわざ重篤な患者を作り出しますし、パトカーが付きまといをする集団ストーカー(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)は、警察に通報させないように、警官を操って、いかにも警察が嫌がらせしてるように、工作します。警官は、自分が操られてる事に気付いてません。これらは全国でやってますから、警察関係者は知らぬ間に、多くの人に恨みをかってるって事です。警察の内部事情は全て筒抜けで、パトロールに行く時間も全て、人工知能が把握してますから、それに便乗して、人工知能が波動で警官を操って、定規で測ったかのような、神懸かった抜群のタイミングで集ストします

行く所行く所で周りの人が咳払いしたり、くしゃみをしたりする集団ストーカーは、被害者の周りの人に波動を当てて、咳払いやくしゃみをさせてるだけです。いかにも集団でストーカーしてると思わせて、心理的負担をかけてるだけです

くしゃみをした時の周波数と、同じ周波の波動当てると、人為的にくしゃみを出させる事が出来ます。アメリカがこれで特許取ってるんですけど、例えば、TBSラジオは90.5MHz(メガヘルツ)、ニッポン放送93.0MHzに周波数を合わせると、これらのラジオを聴けます。これと同じように、食欲が湧かない時の周波数、眠れない時の周波数、パニック障害に陥ってる時の周波数って具合に、それぞれの周波数と同じ周波を当てると、ラジオが切り替わるように、その状態に切り替わって、意識操作や精神疾患を作り出せます

生態の周波数コードを読み取って、脳波パルス信号に、同じ周波数を送ると、波動が共鳴して、その状態に切り替わります。例えば、人が右に曲がる時の周波数コードを読み取って、その周波数と同じ周波数を送ると、いとも簡単に右に行かせる事が出来ます。これを利用すれば、警官を操って、パトカーに集ストさせる事も、たわいないです。好き嫌いの感情、食欲等を操る事なんか、造作もないです

例えば、蛍光灯に虫が集まるのは、ある決まった周波数の紫外線に、吸い寄せられてるからです。逆にいうと虫ですら、周波数で操作が可能って事です。虫は、波長340~350nmの紫外線に引き寄せられやすいです。昆虫類は、それぞれが違った周波数の光に誘引される性質があるんで、どんな虫でも周波数を変えると、自在に操作が可能って事です

創価が仏敵によくヤる、家の中に害虫を呼び込んだり、カラスを屋根の上に集めて暴れさせたり鳴かせたり、犬を吠えさせる嫌がらせも、全て人工知能が、波動(周波数)を用いてヤってます

ちなみに、27~38Hzで不眠に、48~55Hzで喘息に、50Hzで生理痛、52Hzでてんかん、60Hzで痙攣、88Hzで片頭痛が引き起こされます。それぞれの病気が、それぞれ決まった周波数を持ってます。これらの周波数と同じ周波を当てれば、どんな病気でも作り出せるって事です

この、遠隔から痛みや病気を生み出す技術力を使って、主に公明の支持母体、公明の栄養源である、創価の活動家が病気にされます。病気になると信者は仏にすがって、学会活動や選挙活動に精を出すようになります。その為、活動家は定期的に病気にされます。モチベーションを上げさせる為の、起爆剤みたいなもんです

信者は、科学技術で病気にされてる事に、気付いてません。皆、魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)にヤられてると思ってます。病気だけじゃなく、事故に合わせたり、怒りの感情を高めさせて、家庭不和にしたりして、不幸を作りあげます。毎日が平和だと、仏にすがる必要がないので、皆ヤメちゃいますから、定期的に不幸を与える必要があるわけです

3桁、4桁、数百万円~数千万円、多額の財務(お布施)をする人程、重い病気になり、頻繁に事故に遭遇します。聖教新聞を何部も取り、折伏(勧誘)にも勤しむ熱心な信者ほど、多くの災いを呼び込みます。これが正直者がバカを見る宗教、創価の実態です

多くの人を病気にして来てるのに、この犯罪が、世間に全く漏れ出してない理由は、私生活を監視盗聴して、生活に沿った病気や痛みを与えて来たからです。重い物を持ったら腕に痛みを与えたり、ツラい事があったら鬱にしたり等。つまり私生活に便乗して、不自然にならず、違和感を持たせず、痛みを与えたり病気にして来たから、今までバレずにきたわけです

創価は、創価に入って題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば、どんな病気も治るって事を売りにしてます。医者が見放した不治の病も、題目を唱えれば治るっていう触れ込みで、信者を募ってます。確かに治るんですけど、それは波動を使って病気にしてるから、治せるわけです。科学技術で病気を作り出し、題目あげたら波動を弱め、題目で治ったように見せかけます

ウツ病が治らず入信する人、不眠症が治らず入信する人、腰痛が治らず入信する人等、苦しみから逃れるべく、最後の望みの綱で、創価に入信する人は枚挙にいとまがないです

これらは、入信させる為に作り出した病気です。創価公明は、学会員だけじゃなく、一般人をも長年に渡って病気にします。創価公明の特徴として、本人が嫌がる事を、何十年にも渡って徹底してやります

じゃあ創価に入信すれば、病気が治るかっていうと、入信しても完治はさせません。生かさず殺さず、良くしたり、時には酷くしたりして、蛇の生殺し状態にします。完治させたら、皆活動をヤめてしまいますから、定期的に病を浮かせたり沈めたりして、学会活動や選挙活動に、精を出させるわけです

創価の本尊を焼いた人は、家が火事になったり、灯油を自分にかけて焼身自殺したりします。あれも遠隔操作でやってます。波動で直接火事にすると証拠が残るので、火に鍋をかけてるのを忘れさせたりして、違和感を持たせずに火事にします

昔、ビートたけし氏が、顔の原形を留めないくらいの、バイク事故を起こした事がありましたけど、あれも創価の仕業です。たけし氏は事故に合う前に、創価の本尊にへのへのもへじを書いてます

創価は恐怖政治、恐怖支配の一枚岩で成り立ってるので、恐怖心を植え付ける為に、こういう事をします

この犯罪を取り締まる法整備が成されてませんから、法整備をせざる得ない状態にする効果、拡散する事での犯罪の抑止効果、何も知らずに創価に入信する情報弱者を減らす効果等を狙って、バラマキしてます』

http://mikle.jp/viewthread/2207632/p36/

初めまして

  • かず
  • 2015/12/31 (Thu) 23:15:53
 私の祖父の母方が千早赤坂村の楠本姓で、昔、その父が建水分神社の宮司さんをされていたと祖母から聴きました。宮司を退いた後は、豊中市に引っ越して、お店を経営されておられるそうです。祖父が亡くなってから、そのことを祖母から聴いたので、あまり詳しくはわかりませんが、楠木公を祀っている神社でもあるので、関係があるのかなと思っています。

Re: 初めまして

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/01/06 (Wed) 12:32:37
かず様

はじめまして。管理人の楠七郎と申します。

楠木関連の名前の方で、神社やお寺さんの関係の方って時々ききます。
ですので、かず様のところも関係があるかもしれませんね。

建水分神社さんに参拝されたときに、何か聞けたらいいですね。

Re: 初めまして

  • 元和泉国住民
  • 2016/04/30 (Sat) 13:45:03
私も母方が楠本姓ですが、関西の楠本姓の多くは延喜式内社である楠本神社ゆかりと聞いたことがあります。クスノキは暖地で生長し、よく大木化します。現代日本でも根強く残るアニミズムから巨木=神と神格化され、シンボル化(トーテム)として、祭られたもののようです。個人的な考えですが、おそらく楠本神社の氏子たちが楠本姓を名乗ったのが始まりだとおもっています。南の漢字を使う苗字もその流れとされ、かの南方熊楠も、幼少期病気で生死の境をさまよったとき、父親がおぶって藤白神社の大楠へ平癒祈願に行ったとのことです。

Re: 初めまして

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/05/24 (Tue) 23:09:02
元和泉国住民様

私の一族の氏神は、河内の樟本神社でして延喜式内社です。
元和泉国住民様のおっしゃっている楠本神社は和泉の楠本神社だと思います。以前から存在は知っておりましたが、いまだにお参り出来ていません。

クスノキは関東南部の太平洋側か西日本に多く分布している樹と、ものの本で読んだのですが、古代からの巨木信仰の対象の一つだったと思っています。
日本の名字は、多くは土地の名から発生していますが西日本の場合は、ものの名称が名字になっているのが結構あるそうです。
ですので、おっしゃる通り、特に大きなクスノキがある所に住んでいる一族が楠本と名乗ってもおかしくありません。
楠本姓発祥の地の一つが和歌山県にありますが、和歌山はまさに紀(木)の国でありますもんね。
和歌山県出身の男性は、○○楠太郎というように名前に「楠」の字を使う方が多いように思うのですが、良字信仰というのでしょうか、縁起がいいと思われているのでしょうね。

私は、家紋になぜクスノキが無いのか疑問に思っております。
ある、もしくは、あったのかもしれませんが。

質問があります

  • 元和泉国住民
  • 2016/04/30 (Sat) 13:26:32
楽しく拝見させていただきました。
私も伊勢の楠城跡や楠木神社を見に行きました。残念ながら神社に残るという慶長年間の楠氏の棟札を見ることはできませんでした。(治田城はまだ行っていませんが)
早速ですが質問があります。

和泉市和田町にある和田城跡や堺市の小谷城跡(地元では楠鼎三城といわれた一つで残り二つは現在の泉北高校(城名不明)と陶器城または八田城?)は地元では楠氏ゆかりの城と言われてますが実際はどうなのでしょうか?
和田(みきた)氏や甲斐荘氏、岸和田氏のような傍系はUp予定はないのでしょうか?
和泉国地頭職であった島津氏に随って薩摩に移った楠一門についてはUp予定はありませんか?

Re: 質問があります

  • 楠七郎@管理人
  • Site
  • 2016/05/24 (Tue) 22:48:37
元和泉国住民様

はじめまして、管理人の楠七郎です。

このたびは返信が大変遅れまして、誠に申し訳ございませんでした。
とある人から指摘をいただきまして、元和泉国住民様の書き込みに本日気付いた次第であります。
大変失礼いたしました。

和泉国地域は、私も、あまり回れていない事もあって、後日、返答が変わってしまうかもしれませんが、小谷城は、位置的にも、楠木正成が活躍した頃の楠木氏勢力に協力していたと思います。
そういった意味では、ゆかりの城だと思います。
陶器城も鎌倉幕府軍を迎え撃つ前(元弘3年1月)には、楠木氏の勢力に組み込んでいたと思います。

和田氏等の系図は今のところアップする予定はありません。
楠木氏の方が傍系かもしれませんが^^;

島津氏も同じく予定はありません。